セッション(Whiplash)から見るジャズの世界🥁

更新日:11月23日



どうも!ジャズのほんの触りだけ知ってそれっぽいこと言ってる霧切酢です!


ボヘミアンラプソディに続いて、映画を通して現在の音楽シーンを語りたいと思います🎤



今日はこちらの映画、セッション(Whiplash)の内容を交えつつ 現在のジャズ界隈について少し語りたいと思います


実は私自身、ジャズ系統に強い音楽の専門学校に通っていた経歴がありますので

なんとな~くプロのジャズプレイヤーの世界を知っていたりなかったり(笑


・セッション(Whiplash)で語りたかったこと



私自身、監督や役者のインタビューを見たわけではないのですが

よくも悪くも昔ながらのジャズを、現代で描写したかったということかと思います


「教育」や「育成」ではなく

「突然変異」、「革新」


を作ろうとした者の末路を描いた作品だと感じました

その点でジャズに焦点を当てるという着眼点は非常に親和性が高いと言えるでしょう


ボヘミアンラプソディでは古き良きロックの時代を描写したことに対して

本作では昔ながらの感覚の危うさ、生産性の無さもしっかりと描写しています


ハッキリ言って本作はある意味ではバッドエンドに近いとすら感じました

講師フレッチャーの願望は叶いはしましたが...


・ジャズに対する”世間のイメージ”と”プロの世界”



本作を理解するにはまずこの前提を知っておかなければなりません


ほとんど音楽に興味がない方、ジャズを知らない方にとってジャズとはなんなのか

おそらくは


  • お洒落で余裕のある音楽

  • 大人な雰囲気のある音楽

  • バーやカフェで流れている落ち着いた音楽

などを思い浮かべるのではないでしょうか?


リスナーに寄り添うような、ロマンチックな雰囲気にしてくれるという印象が強いですよね

それ自体は決して間違いではありません


しかし、元をたどればジャズというのは自分たちが楽しむための音楽

少々キツイ言い方をすれば


めっちゃ自己中な奴が集まった自己中な音楽



...世界のジャズプレイヤーの方、愛好家の方申し訳ありません😅

しかし、こういった中から生まれ育ってきた側面があるんですよね



そもそも音楽というものは、富裕層が嗜むものでした

お金と時間に余裕があり、教養がある一部の人が楽しんでいました


それがクラシックです


しかしそういった富裕層ではない人たちが、何とかして限りある人数や楽器で

良い音楽を作ろうとブルーズなどを進化させていったのがジャズの始まりです


スタート地点はとても限定的な条件から少しづつ成長した

庶民的な位置から始まった音楽でした


その名残としてスタンダードなポップスの音楽理論も

もとはジャズ理論から派生しているものが大半ですが


その大半は少ない楽器でもゴージャスに聴こえるように工夫された技法です



そして様々な新しい技法やアプローチをどんどん取り入れて行って

いつの間にか高尚な存在になってしまった印象を受けます

・プロのジャズプレイヤーの世界とは



ゴリゴリの体育会系のノリ、プライド高い人が大半です(笑



あくまで私の印象ですが!


これはあまり間違っていないと思うのですが、ジャズは上で書きましたように進化の過程で

いつの間にか”どれほど個性的なことが出来るか”を重視するようになっていました


物凄く王道なこと、ポップすぎるノリを良しとしない場合が結構多いんです!


常に挑戦をし続け、難解な楽曲を作り、それをプレイする

そういったことに裏打ちされた誇りがあるのだと思います


また、現在では大分変ってきたと思いますが初心者に

一から説明するなんてこともありません


例えばですが、ジャズには「ジャズスタンダード」と呼ばれるセッションなどでも使われる

ジャズの楽曲が多数収録された分厚~い本、通称”黒本”と呼ばれるものがあります


これを元に皆その場その場でセッションしたりするのですが

基本この黒本は丸暗記です😅


譜面見ながら演奏しようものなら、余程複雑な曲でない限り白い目で見られます




プレイする曲が複雑になり過ぎたために、一般大衆に受ける楽曲が生まれにくく

排他的ともとれる姿勢から業界が縮小してしまった感は否めません


音楽性を追求するあまりそれを商売にするという側面

つまり商業的には上手くいき辛いという問題が付いてくるからです


現代ではジャズプレイ一本だけで生計を立てているという方は

ほぼいないのではないでしょうか

本編でも主人公が家庭にて進路の話になった時、金になりやすいラップやEDMではない

ジャズを学んでいることを批難される様な空気になったシーンがまさにこれです


後に主人公がジャズの界隈で目をかけられてきたと逆にマウントをとろうとした

姿勢などから、私の言いたいことは伝わるかと思います



・大衆的なジャズ



長々と書いてきましたが、ではジャズには商業的な動きはなかったのか?

勿論あります


それが先に書いた普通の人が抱くジャズのイメージの曲

つまり大衆に受けやすい楽曲にするということですね


これは劇中でフレッチャー(講師のスキンヘッドの人)が語っていましたが

現代のつまらない音楽、本物ではないジャズというものがそうだと思います

(厳密なセリフは忘れてしまいましたのでご容赦を!)



つまり


ひたすら新しいことに挑戦し、音楽を極めて行くジャズの傾向とは

真逆の事を行ったジャズ


それが現代に求められている姿だということです

または先に書いたようにポップスの原型に使ったり...


フレッチャーはこのことをずっと憂いていたんですね

本当の意味でジャズをプレイする人がどんどんいなくなっている


それがこの映画の根幹です




・フレッチャーがやりたかったこと



一言でいえば「昔のジャズを蘇らせること」です


我儘で、自己中で、それでいて何よりも気高い意思を持ったジャズを


主人公のジャズミュージシャンとして成功することも、成長も

そこまで期待せず、ただこのことだけを主人公に求めていました


主人公にドラマーとしての才能以上に、こういった一つの物事に異常なまでに

傾倒してしまう素質を見抜いていたのでしょう



ラストシーンで主人公がフレッチャーにやり返したと感じた方が多いと思いますが

あれは個人的に、ついに探していた本物のジャズをプレイする人物を作れたという


フレッチャーの驚きと喜びがあったのだと思います


ラストのとても丁寧に指揮をしていたフレッチャーの所作からもわかるように

”ようやく生まれた待ち望んでいた存在”を、とても大切に扱おうとしています



・本作における生産性の無さ



ここまで見ていると、一見お互いの理想が叶った瞬間で映画が終了していますが

果たして意味のあることだったのか、という疑問はしっかり残しています


例えば本編で主人公は彼女を失っていますし

周りからも変人とみられている描写も多かったです


また、昔の高尚なジャズを蘇らせたとして今後生活していくうえで

その技術は役に立つのか?需要はあるのか?


フレッチャーは過去に何人も有望な音楽家の卵の人生を

台無しにしていると明言されています


ハッキリ言って、現実で音楽で生活しようと思うと

絶対にやってはいけないとすら思います


あくまで素質のあった主人公が

たまたま上手く結果を出せただけだという点は


映画が示している通り理解しておくべきことです



いかがでしょうか?


こうしたジャズの歴史や背景を知っていると

この映画の意図が理解しやすくなるかと思います


ヤバい願望を持ったおっさんに主人公の青年が巻き込まれた!

みたいな・・・(笑


でもそれでいいんです

ジャズって世界一我儘な音楽なんですから


フレッチャー主人公もめちゃくちゃ我儘でしょう?😁😁