泣きのギター
感情を込めたギターのフレーズを
このように表現することがあります
ブルージーなフレーズを弾く際に
よくこの言葉を目にします
まあ、個人的には
不屈な心だとか、哀愁とかから生まれたブルージーさを
”泣き”という言葉でまとめてしまうのは
納得できないんですけどね😎
泣きのギター=歌心があるフレーズ
泣きのギターというのは
つまるところ
より心に響く
歌心のあるフレーズのことを指します
そして、ギターで歌心のあるフレーズと言うのは
よりブルージーさを強調したフレーズを
歌心があると表現することは多いです
クラシカルなフレーズは美しくはありますが
歌心がある、という表現はほぼされないですね
で、注目したいのが
この ”ブルージー” という要素!
ブルージーさというのは
ブルーノートと呼ばれる音も重要ですが
何よりもリズム、グルーヴ感にこそ
魂が宿るのです!
根本的な所から見ていくと
リズムとはその文化圏の言語に
強く根付いている
という特徴があります
つまり
より歌心があるフレーズを演奏するにつれて・・・
より人が話している可能ような音に
センスの良い(語呂とか)会話を聴いている
かのような気分になってくるのですね
これが本来の
歌心のあるフレーズ
”泣き”のギター
の正体であったのだと思います
しかし
こういった感覚が掴みにくわたしたち日本人では
少々事情が異なっているように感じます
私たち日本人は演歌より
今まで何度か他の記事でも取り上げましたが
基本的に多くの日本人は
洋楽的なリズムと日本的なリズム
これらの違いが分かっていません
歌手や作曲家においてもです
よくよく聴いてみると
楽曲全般が盆踊りのリズムだったり
ビブラートの使い方が演歌の”こぶし”であったり
当然ながらギターの奏法にもこれが影響されていて
つまるところ
演歌みたいなフレーズを弾く人が
結構多いんですよ
タメの作り方とか、ビブラートのかけ方とか
これのせいで
本来の”泣き”の意味が変わってしまっているように感じます
本来持ち合わせている力強さが無いといいますか
悲しみ成分が多めと言いますか。。
というよりも
元を正せばこの”泣き”という感覚も
日本人視点での発想かもしれませんね
まあ、これはあくまで私の感想です😅
しかしながら、演歌みたいなリードパートを弾いて
”泣きのギターソロ”を弾いている
という方も見かけますので
個人的にはあながち的外れではないかも・・・
とは思っていますw
こういったメンタル方面から着目してみると
何か発見があるかもしれませんよ!
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