音楽を消耗品とするか芸術とするか
- 霧切酢

- 6月4日
- 読了時間: 2分

時代とニーズ
そもそも音楽は
ショービジネスだった
しかし録音媒体の登場により
商品として売ることが可能となった

形のないものから
形のあるものに落とし込むことで
ある意味音楽のあり方は
多様性を産むことになったのですが
その結果としてある種
消耗品としての側面も持ち始め
その消耗品としての役割を
AIが代用してきてるなと感じてます
おそらく今現在AI作曲が
脅威と認識されているのは
この消耗品の量産力についてでしょう
もっと言ってしまえば・・・
それほどに世の中が
消耗品としての音楽を求めてるし
作り手側の作品も
消耗品に近くなっていた
こう考えることが
できるのかもしれません
私自身DTMにて曲を作ってきたので
結構身に覚えがあるんですけど
デジタル技術の恩恵を受けすぎた結果
それが音楽に影響しすぎてしまった
人力では不可能なほど
正確なピッチ、タイミング・・・
オーディオの編集全般
もちろんこれらが
悪いという話ではないのですけど
もはやそれって
打ち込みと変わらなくない?
ってことですね

つまり、個人的には
世の中の認識とは逆に考えてまして
人が作る曲がAI作曲に
近づきすぎてしまったせいで
AIが作った曲と人が作った曲に
差がなくなってしまった
こんな感覚があるんですよ
AIに寄った価値観を推進してきたなら
AIで作った曲が受け入れられるのは
至極当然のことかもしれません
逆に言えば
消耗品としての音楽は
AIに完全に任せられるので
人間はもっと原始的だったり
本来音楽のあるべき姿のまま楽しめる
こんな考え方もできるかもしれません
そこを考えていくのが今後の
音楽の価値観かもしれないですね!








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